文章のための日記

文章を書きます。

メモ書きのようなもの

 単調に繰り返される日々のリズムに、少しずつずれが生じていく。あまりにも些細なので、あるいは変化というものを見たくないので見逃しているのだけれども、確実にずれていく。ズレは直されることがなければ、確実に破綻をもたらす。破綻が起こり、混乱が起こり、なんらかのかたちで収拾がつき、振り返って初めて「ああ、ずっとずれていたんだな。自分はそれに気づかなかったんだな。」と理解する。

 これ自体一つの学習の方法であって、全く避けるべきものとも思わないが、破綻や混乱の過程で生じる痛みを避けたいと思うなら、そのための方法はある。

「日々をメンテナンスすること」

一言で言ってしまえばこういうことになる。メンテナンスには技術がいる。本来どうであるべきか、今どういう状態にあるのか、どうすればいい状態に戻せるかということに関しての知識や観察がなければできないことだ。これは勉強するしかない。知識を得たならば(結果得られなくても)、それを丁寧に実行していかなきゃならない。もし怠ったならば、その時からゆっくりと、しかし確実に破綻が進んでいくから。

 在り来りな話しだとは思う。しかしこれを意識していたのなら、自分に一番近しい人の破綻は避けられ、一人の人間の可能性の大きな部分を(もしかしたらすべての可能性を)打ち壊してしまうこともなかったのだと思うと、やはり真に迫って大事なことなんだと再確認できる。丁寧に、真剣にやらなければならない。小さなほころびを見逃してはならない。